仙台市長選挙2017 選挙公約批評
仙台市長選挙2017 選挙公約批評(全4候補者)
NPO法人メディアージでは、今回の仙台市長選挙について様々な角度から有権者が選挙を考える情報を提供するため、この度「まつりごと」「コーヒー・ハウス」などの活動に賛同・参画いただいている、池亨さんによる候補者批評を掲載いたします。 当記事の内容は、弊団体の意見を代表するものではありませんが、記事公開は弊団体が筆者の同意の上で行ったものです。おことわり
- 文責・著作権は、筆者(池亨)に属します。また評者の所属先にも一切関係しません。
- 本批評は、特定の候補者への支持投票を呼びかけるものではありません。
- 本批評は、公職選挙法に基づく各候補者の頒布するビラをベースに、仙台市選挙管理委員会選挙公報、各候補者のウェブサイト、新聞報道等をそれぞれに依っています。ただし、筆者の価値観や利害関心というバイアスは否定しません(客観性は目指しております)。
コンセプト
- 公約を読むにあたって、政策だけを批評するのではなく、主張の仕方や、見せ方といった面にも着目し、どうしたら有権者に説得的に政策や理念が伝わるかという側面からも批評をしています。
評価の指標
- 【体系性・整合性】 各政策が各候補者の理念に即して十分に論理的に結び付けられているか。
- 【具体性】 抽象的な理念やテーマだけでなく、具体的な政策や施策が記述されているか。
- 【プライオリティ】 なにから優先して手を付けるかがはっきりしているか。
- 【総合性】 市政を担当するにあたって、各政策分野を偏りなく取り上げているか。
- 【現状認識・分析性】 争点となる社会問題や政策課題に対して分析をくわえて政策を提示できているか。
- 【時間的視野】 短期・中期・長期の中でどのような視野を持って臨んでいるか。
★概観――全体の選挙公約
今回は、当初再選を目指すとみられていた現・奥山市長が不出馬を表明してから、およそ3ヶ月で選挙戦にいたりました。そのため、どの候補も立候補を決断するまでに短い期間しかなく、十分に仙台市政の課題や政策について練る時間が確保できなかったのだろうと思います。 ウェブサイトや配られるビラも、国政選挙の各政党の政策パンフレット、いわゆる「マニフェスト」にくらべ、なかみが薄く目配りの範囲が狭くなったことは否めません。2000年代の地方分権改革から、いわゆる「ローカル・マニフェスト」を掲げそれを実践している首長さんたちもいますが、今回の仙台市長選ではまったく聞かれませんでした。ブームは去ったのでしょう。 そうした意味で、市政の課題を研ぎ澄ませた結果生まれる争点をめぐる議論ではなく、キャッチフレーズや、イメージに多くを頼る選挙になりがちな環境でした。 これは個人的な提言ですが、首長・議員選挙に備え、候補者だけでなく、それを支える市議会会派(政党)がシンクタンクとして、日ごろから市に関する体系的な政策についての蓄積をしておくべきではないでしょうか。 くわえて、公開討論会(と呼びながら、実質は個々の候補者の意見発表会にとどまる例が多いのですが)や、マス・メディアでの候補者同士の討論がもう少し活発になされる必要があります。 これを踏まえて、各候補者の選挙公約を届出順に論評していきます。批評一覧(立候補 届け出順)
各候補者の情報や主張は、TOHOKU360の特設ページをご覧ください!1.「未来志向」だが、前提が危うい――ポピュリズムの影?【林宙紀候補】
「未来へトライ!」がキャッチフレーズの林候補。 他候補と比べ際立つのは、仙台という都市をこの先どのようにしたいのか、「人口150万」「財政支出2割削減」など、数字を用いた「将来構想」を提示している点です。この点は若い人には明るい希望のイメージを持たせることになるでしょう。この構想に基づいて、個別政策でも各候補が共通して重点に置く子育て・教育だけでなく、産業育成・観光・農業といった経済振興策や、都市政策の具体的なアイディアを提示しているところがユニークだと思います。財政のなかみについて触れているところや、「市長給与20%カット」も他の候補にはないところ。体系性・整合性が高く、政策サイクルといったことも意識されて具体性もそこそこ高いです。総合性はまずまず。 しかし、現状認識・分析性に弱さが感じられます。時間的な見通しもはっきりしません。将来構想を提示しながら、まずなにから手をつけるのかわかりにくい。(ウェブサイトではまず各種検討会議づくりからだそうですが。ブレーン集めから?)。まず目標としている「人口150万」は相当高いハードル。厚労省による仙台市の2040年の人口推計は約98万人で、いま以上減らさないだけでも相当なもの。復興需要が落ち着くなかで、むしろ企業の東京などへ転出が増える恐れがあり、企業の誘致以前に「転出」をどう食い止めるのか。そのあたりの現状分析がどれだけできているのかが公約からは見えません。財政支出の2割削減・財源捻出(最終目標とありますが4年の任期中なんでしょうか?)も現実性のある目標かどうか。仙台市の年間予算の半分近くが義務的経費とよばれ、制度上支出しなければいけないお金。たとえ社会インフラ整備のお金をすべてカットしても、2割の削減に満たないわけです。 それと具体策があるものの、一般の人にはわかりにくいカタカナ語(「ロコモティブ・シンドローム」、簡単に言えば、歳をとって体が動かなくなること)や、それは何をつまりしようとしているの? と実現性・具体的な内容に疑問符がつくものが、いくつかあります。 ひとつだけ具体例を。「在仙大学との連携で、研究施設・シンクタンク等を創設。学都から先端研究都市へ」とあるのですが、東北大などはすでに研究機関が多い大学ですし、さらにどんな研究施設やシンクタンクが考えられるんでしょう? 1980年代から行われている、国と県による「インテリジェント・コスモス構想」なんかにさらに屋上屋を課すかたちになりはしないか。よほどの独自性のある実現可能な構想でないと、むしろ行政全体としては非効率にも思えます。 こうしてみると、政策アイディアの前提をあまり精査せず、数字や施策をぶち上げてしまってないだろうか、と心配になります。新しいことをやってくれそうな期待値はあげられるでしょうが、実際手につけてみたときに思わぬ障害にぶつかり、軌道修正をせまられ、かえって幻滅を生み出しかねません(旧・民主党の失敗はそこにもあった)。 「敵」こそ作らぬものの、給与カットも含め、「無党派層」の有権者受けを狙いすぎていなければいいのですが。国政経験もあり、せっかくアイディアがユニークで豊富なのですから、現状の環境を分析して強い裏づけのある公約になれば、とても強い候補だと思います。2.弱者重視と「市民」イメージ――「革新市政」の夢再び? 【郡和子候補】
お次は、国会議員のバッジを捨てて立候補した郡候補。 キャッチフレーズの第一は「市民とともに『いのち』を守る」。今回教育・福祉・市民協働などを中心に、七つの重点政策とそのほかの施策を提示。他候補にくらべ「弱者(子ども・高齢者・障害者)と女性重視」「ボトムアップ型行政」というプライオリティが断然はっきりしています。これはどの支持層に訴えかけて当選するか、という戦略もあるでしょう。その代わり、総合性を完全に犠牲にしてしまったきらいがあります。 アナウンサー、さらに国会議員として福祉をフィールドにしてきたキャリアの強みから、具体性は抜群で、実現可能性が高そうな施策が並んでいます。職員を「町づくりプロデューサー」として意識改革を進めるという公約は、役所との対決構図をあおりたがる風潮のなかでは目を引きます。 こうした重点分野だけに関してはスキがなく文句のつけようがない(体系性・整合性は高い)のですが、それ以外の分野を含めた仙台市全体の現状をどう考えているのか、現状認識や分析が文面からは欠けています。 なかでも市民協働をうたいながら(奥山市長の支持は得られませんでしたが、シンボルの奪取には成功しましたね)、地域からあがってくる地場の課題については弱い(復興政務官だったことから、津波被災地域の政策のみ)。交通問題や都市の配置は福祉にも関わってくるわけで、都市政策としての立体感に乏しいのです。各政策と、総合性と体系性・整合性との関連がうすく、非常にバランスが悪い。 これは、市内住民どうしで利害が対立する行政課題(いわゆる「NIMBY」問題)が出てきたときに市長としてどう調停するかの方針にも関わります。「市民」「クリーン」はこうした問題解決のキメゼリフにはなりません。 また、財政について全く言及がありません。細かい数値や厳しすぎる目標をあげる必要はないのですが、どういった政策にどれくらいの予算を割きたいのかはあっていい(あるいは予算なしでできることは何か)。教育・福祉政策が財源、都市経営戦略とのバランスの上でキチンと成り立つことが説明できれば、かつての革新自治体の失敗を繰り返さないことへの説得力が増すでしょう。 筆者個人が側聞するところによれば、「新・健康都市宣言」というフレーズも使っているとのこと。これは高度成長期からバブル前まで5期にわたる長期政権だった、革新系出身の島野武市長(1958年〜1984年)の本歌取りですね。バランス感覚に優れ、財政赤字に苦しんだ他の革新自治体と異なり、仙台の都市規模の拡大にも支えられ異例の長期政権でした。現在60代以上の人にとっては、懐かしく華やかな当時の記憶に訴えかけるフレーズでしょう。 しかし、いまは環境が違います。経済成長に恵まれ、都市問題に事後的に対応してきた島野時代とは異なり、経済は伸びず、人口増もすぐに期待できない。目前の解決すべき課題に対応するだけでなく、時間の見通しのなかで、仙台という街のこれからをどうするか、弱い立場の人たちを優先するのはいいとして、それ以外の中高年のサラリーマン層や若者たちに向けても、どう市長としてのトータルなあるべき都市像を提示するか、ソフトだけでなくハードを含めて、そこが問われるでしょう。3.「what(何を)」はあるが、「how(いかに)」がない――「ぼんやりーぬ公約」は保守の王道? 【菅原裕典候補】
続いて経営者出身で、村井宮城県知事の後押しを経て立候補した菅原候補。 キャッチフレーズは、「ずっと仙台――住むほどにいいまちへ」「100年間住み続けたいまち仙台」。さすが葬祭業を取り仕切るだけある、と感心しました。それくらい強い気持ちにさせてくれる政策が並んでいるのでしょうか。 さて、読者に正直に申しあげると、私にとっては公約を読む面白みがあまりありませんでした。 市長はあらゆるテーマを仕事で扱いますから、商店に喩えればいわば大型店。その意味で、菅原候補は品揃えの幅が広いが、今どきのトレンドやオススメ、つまり「売り」がわからない地元の老舗百貨店のような公約でした。そういう店の「包み紙」、老舗ブランドをありがたく思う人にはいいと思うのですけどね――ちなみに林さんはファッションビル。郡さんは食料と日用品中心のスーパーマーケット型生活協同組合みたいな感じです。あ、大久保さんはヴィレッジ・ヴァンガード? 冗談はともかく、公約文を検討していきます。ビラでは「5つのお約束(マニフェスト……とルビが振ってある。4人の中では唯一の表現です)」と題して、経済、こども、文化・歴史・自然、地域・くらし、行政の5分野を網羅。総合性はバッチリです。うおお、さすがです。広くて……が、具体性がほとんどない。○○の「向上」「強化」「活性化」「推進」「整備」「支援」。大手門の復元以外は、ようするに大まかなテーマだけ挙げて抽象的にがんばります!といっているだけに見えます。中学校の生徒会長選挙の「学校を明るくします!!」というアレに似てます。政策というには方向性や内容が見えません。数字も出てこない。他候補との違いはプロフィールだけというのはもったいないですし、市役所の規定路線を進める他に経営者出身ならではユニークな施策がひとつでも欲しい。 また前二人にくらべても、基本理念が何かも見えにくい。財政についても言及ゼロ。公会計は企業会計と違うにしても、経済人として財務諸表を見てどう判断するのかは気になるところ。コスト意識を重んじるなら会計に民間の方式を取り入れるとか、公認会計士を採用するなどという施策があってもいいはずですが……。 これは、あとあと公約に縛られすぎないように、ということもあるでしょう。国政でも自民党の公約は従来からこのスタイルで、これは状況に柔軟に対応するという、保守思想の長所の現れかもしれません。 が、候補者、リーダーとして出自や誰が支持しているかだけでなく、気構えや自信を示すだけでもなく、リスクをとってこのまちを具体的にどうしていくのかについてメッセージを発することも、首長に必要な資質ではないでしょうか。 もとから仙台に住んでいない住民も多いのに、アピールの仕方があまりにも内向きすぎます。 総合性以外は残念ですが、評価のしようがありません。何も書かれていませんので。 個別の政策でひとつだけ疑問点を。ウェブサイトでは「仙台ブランドの発信強化のため、中央卸売市場の再整備の調査」とあるんですが、意味がよくわかりませんでした。仙台ブランドとは、仙台市の内外へ向けての生産品のイメージ戦略だと思うのですけど、市内の食品流通を支える中央卸売市場(インフラ)の再整備がどう関係するのか、単純にさっぱりわかりません。解説をお願いしたいところです。4.遅れてきた「構造改革」論者――ドン・キホーテはジャンヌ・ダルクになれるか? 【大久保三代】候補
2012年から1期国会議員を務めたものの、次期に出馬せず、さまざまな公職にチャレンジし続ける大久保候補。挑んでは負けていますが、今回の公約を掲げてどのような勝利を目指すのか。 他候補とくらべて、彼女が特徴的なのはかなりシビアでドライな現状認識に基づいている、というところです。つまり「20年後の仙台市は、人口と税収が激減する」という前提のもと、「行財政改革」を進めながら、「チルドレン・ファースト」の政策を進めるということです。プライオリティはハッキリしています。 実現性はともかく「躍進」を目指す林さんとは対極ですし、状況について現状認識を語る前に現場に飛び込んでいく郡さんとも違い、おなじ自民系でありながら、泰然自若な菅原さんとも異なる。これは、小泉元首相によって「自民党をぶっこわす」とおこなわれた新自由主義的な構造改革の、周回遅れの論者のように見えます。 彼女はしばしば「既得権」に踏み込むというレトリックを用います。「敵」を想定して、それに挑むというスタイル。しかし、その「既得権」や「オレ様政治」が、いったいどんな事象を指しているのか、まったくわからないのです。石井市長時代(1984〜1993年)のようなスキャンダルや構造的な問題があるならともかく、非常に漠然としている。また、現状認識は示したものの、行財政改革を目的としているのに、現状の仙台市政についての具体的な分析や数字、試算などはありません。 基本、合理化・効率化路線なのですが、例えば学校の統廃合など、数字だけでは判断できない、住民の実情に即して考えなければ答えが出ないケースもかなりあるのですが、あっさりと出していたりする。大きな流れはわかるとしても、個々のケースをどう考えるかは、いきなり一致しません。どうも目前でみたミクロな出来事に、いきなり自分の問題意識を性急に当てはめている傾向があるのではないか。 インフラ周りの政策、人件費抑制の政策が中心で、郡さんと同じく総合性はありません。整合性はいくらかありそうですが、抽象的理念と政策、あるいは各政策どうしの関連や階層がもう少しはっきりみえればよいと思われます。やや政策どうしの体系的つながりが散漫な印象です。ウェブサイトにある「原発を引き継がせない」というエネルギー政策は、ほとんど仙台市は影響力は行使できません(東北電力の持ち株比率約1%)。気持ちとしては了解できますが。 個別の論点についていうと、市有施設の売却は一見いいようですが、資産ですから、保有し運用するのと売却するのとを精査する段階からはじめてもいいのではないかと思います。 各候補のなかで唯一、各区への分権、行政機能の分散を挙げていることは特筆されますね。討論会では、帰宅困難者対策として各区役所を位置付けていました。 反面、社会福祉士でありながら、同じ議員経験者の郡さんと違って福祉についての具体的施策、提言がないのは興味深いですね。まずは財源からということでしょうか。 「既得権」と一口にいいますが、住民の利害は多様ですし、対抗するほうもそれなりに根拠のある利害を持ち合わせているわけです。そうすると見かけだけでなく、「改革」を行う際のオープンで公平な手続きについても論じなければいけません。 もし本当に「敵」がいるなら、まず、しっかりとどんな敵か、その中身と属性を明らかにしなければいけません。それなしの作戦は空回りして消耗するだけです。ぜひ作戦の前提を知りたいと思います。★総評――選挙公約の「生理学」
各候補者に良いところ、悪いところそれぞれがあって、やむを得ないこともあります。 選挙という、競争相手と自分との違いをはっきりさせて自分を売り込む活動と、住民全体を包括して代表するという首長たりうる候補の政策統合の働きは、相反する性質を持ちます。本質的なジレンマを含んでいるといってもよい。 したがって、最初に挙げた各評価指標は、同時に満たすことができにくいことがほとんどです。たとえば選挙戦略上、総合性とプライオリティを同時に追求することは非常に難しい(この両極は、林・菅原vs郡・大久保の図式に重なります。全体・統合指向と個別的なものへの指向の違いです。男女の図式で別れたのも興味深いところです)。多数が何をプライオリティとすることを望むかを探りながら、同時に幅広い支持をもとめざるを得ません。 この二点の基準を統合するには、時間的な位置付けが必要になりますが、どの候補もこの観点が薄かったように思います。 その要因のひとつは、国政における政党は、選挙で増減しても比較的に長期の存続を期待できるのと違い、首長の任期は4年に過ぎず継続性が不確実だということ。だから時間的見通しが語りにくい。 こうした本質的な難しさを、有権者も、候補者の立場として理解しておく必要があります。 また、こうした相反する対照的組み合わせには、こんなものもあります。 「状況対応志向と危機予期予防志向」軸プラス、「積極対応と消極対応」軸です。郡(状況対応、積極)・菅原(状況対応、消極)vs林(積極予防)・大久保(消極予防)の構図です。 前者は現状認識の強度(年齢からくる「未来」と「現状」とのギャップへの危機意識)、後者は具体性の強度(合理的改革活動-環境適応指向)を示唆していそうですが、ここでは詳しく論じません。 いずれにしても、各候補者の思考の癖をつかみつつ、いまの仙台市に誰が向いていそうか、みなさんも自分ならどの候補者に当てはまるタイプかを、考えてみるといいのかもしれません。 改めて「時間的視野」を除く評価をまとめます。 あくまで評者からみた、それぞれの要素での説得力の強さですので、点数化はできません。またもちろん各候補者の「人格の素晴らしさ(ダメさ)」とはまったく関係ありません。基本理念の是非も価値判断の問題ですから、比べられません。 大事なことは、候補者を問うことで自分は仙台市のあり方についてどう考えているのか、を自問することです。投票の判断はその先にあります。 これを読んで「そうだ」と思ったひとも、「いいや違う」と思ったひとも、その感想がなぜ、どんな理由から生まれたのかを考えてみることで、最終判断の一助になれば幸いです。 (池)「自己がすべてである。他はとるに足りない」これが独裁政治・貴族政治と、その支持者の考え方である。「自己は他者である。他者は自己である」これが民衆とその支持者の政治である。これから先は各自が決定せよ。――シャンフォール 『格言と反省』